三橋淳

1970年7月2日生まれ

所属チーム:トヨタオートボディ

血液型:O+
趣味:モーターサイクルスポーツ、スノーボード、サーフィン

三橋が4輪でダカールラリーに参戦する事になったのは、NISSANからドライバーでのパリダカ出場の話を持ちかけられた2004年大会からだ。それまでは2001,2002,2003年とバイクで出場。
2002年にはトッププライベーター賞も獲得するなど、ライダーとして国内外で活躍。そこに目を付けたのが、ちょうどファクトリー参戦中のNISSANだった。NISSANは日本人ドライバーを物色中であり、その候補としてライダーを起用するアイデアがあったからだ。
ライダーとしてチャレンジを続けるか、それとも心機一転、4輪で挑むか。苦渋の選択を迫られた三橋は、NISSANのオファーを受け入れ、プライベート参戦していたライダーから、プロのドライバーとして活動を開始することになる。
2003年夏。「若手育成プログラム」としてNISSANに参加し、研修先のフランスに飛び立った。
4輪に転向してから三橋は、ほとんど練習する間もなくエジプトで行われた「ファラオ・ラリー」に参戦。そこでいきなり総合9位に入ると、続くミニイベント・「シャムロックラリー」では総合3位に入賞。ルーキーらしからぬ走りで周りを驚かせた。
4輪転向後では初となるパリダカには、プロダクション部門にエントリー。ぶっつけ本番で乗った車ではあったが、序盤からクラス2位をキープ。マシントラブルでリタイヤするも、それまでトップ争いを演じ、そのポテンシャルを見せつけたのである。
その後再びトレーニングを積み、「デザートエキスプレス」では総合2位、そして「シャムロックラリー」で総合優勝を果たし、さらにレベルアップ。そして迎えた2度目のパリダカでは、総合11位、日本人ではトップの成績をたたき出し、ドライバーとしてのセンスを開花させたのである。
そして迎えた3年目、2006年パリダカには、いよいよトップカテゴリー、スーパープロダクションのマシン、NISSANピックアップでの参戦が決定。ぶっつけ本番のイタリアンバハでは予選2位(本戦はマシントラブルで後退)を記録。その才能を見せつけた。しかし2006年、ダカールラリーでは、相次ぐマシントラブルに見舞われ、実力を発揮できずに終わってしまった。
NISSANがその後ダカールラリーから完全撤退してしまった事もあり、2007年のダカールラリーでは、三橋は新たにトヨタオートボディと契約。心機一転、プロダクションクラスで優勝を目指しエントリー。初めての日本人主体のチーム、そして素人ナビゲーターとのコンビという通常では考えられないタスクを与えられつつも、自らナビゲーションをこなしながら走る、バイク時代の感性を活用し、見事クラス優勝を果たす。
2008年、トヨタオートボディにて参戦、プロダクションクラス2連覇を目指していたが、情勢不安にてレースが前日に中止となる。
2009年、トヨタオートボディより参戦。開催地は南米へ変わり結果はクラス4位に終わる。
2010年、トヨタオートボディより参戦。クラス優勝。